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聖天寺  山瀬東麓203番地

 宗派 金剛山修験本宗派 本尊 聖観世音菩薩 信徒数 約300人
 聖天寺は,寛政以降(1789~1800)から,文化前後(1804~1817)にかけては,小さな庵で寺としての格もなく,悩みや苦しみを持つ人々に対し,祈祷をするところで,興憧庵といわれた。
 安政元年(1854)に,時の住僧の快道という人が,古義真言宗京都嵯峨大覚寺に便りを送り,開敷山現証律院法護寺と名のることを許され,以来その末寺となった。
 明治初年に,大聖歓喜天が新たに祭られた。当寺は戦後一時住職がいなかったが,後に,山下法剣住職が住まうようになって,金剛山修験本宗派に転派した。
 昭和27年7月10日源正山聖天寺と名を改め現在に至っている。
当寺のすこし登ったところに、三枚に剥がれた大岩に大日如来、弘法大師、不動明王を刻んだ磨崖仏がある。