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潮光寺  天王原59番地

 宗派 真宗仏光寺派 本尊阿弥陀如来 檀徒約280戸
 潮光寺は寂光山ともいわれ,真宗仏光寺の末寺として,慶長年間(1596~1614)に,祐玄が創立したといわれているが,寺が開かれた年代については,はっきりしない。
 元文3年(1738)麻檀郡東川田村横付人御改帳によると,潮光寺は,西福寺の第2世住職西信という人の弟友簡(潮光寺の系図では,祐玄となっていて同じ人)によって分家し,創立されたと伝えられる。
 慶長年間(1600年頃)は,潮光寺の格は低く,西福寺の枝寺の地位しか与えられていなかったが,延宝3年(1675)に,本願寺から「潮光寺」という寺号が与えられた。また,独立寺としての地位を得るために本願寺派から仏光寺派へとかわり,正徳4年(1714)京都仏光寺の末寺として,独立したものといわれる。
 潮光寺は,その昔「つりがねザクラ」が,有名であったが,現在は枯れて存在しない。当寺の境内は,約13アールあり,建物本堂,庫裡その他の建坪は6.1アールで,建造年代は不明であるが,第1世
住職祐玄の時に,完備したといわれていることから,この時代のものと思われ,今から 300年以上を経ていると思われる。本堂の北東に鐘楼があるが,これも同じ時代のものと思われる。
 当寺の第9世住職観瑞は,学問のすぐれた人であり,郷土の偉人芳川顕正伯が師事した人としても有名である。また,農道を整備したり,道路を拡げたり,社会事業にも努力した僧侶として伝わっている。昭和57年(1982年)門徒の寄進により木造平屋建て瓦葺き70坪の大書院を建築し、なお、練塀を造り,庭園を整備した。

潮光寺