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41  板碑

 板碑(青石塔婆)は墓碑の一種であって,鎌倉時代から室町時代にかけて多く作られている。本県は全国的に見て,極めてその数の多いことで有名である。その理由は,その材料である緑泥片岩の産地であったからであると思われる。 写真のように,頭部は三角形で,その下に二条の切り込みがあり,その下に梵字,仏像を刻み,下に銘文を記してあるのが普通である。その梵字は,弥陀,または弥陀三尊を現わしたものが最も多い。他に大日・薬師・釈迦三尊・不動の種字とか光明真言を現わしたもの,阿弥陀来迎・地蔵の像を刻んだものなどがある。1メートルぐらいの高さが多いが,まれに3メートルを越えるものもある。本町のは,40センチか1メートル60センチぐらいまでである。このような板碑を調べることによって,それが作られた頃の人々が何を信仰していたかがわかる。さらに大切なのは,特に板碑が多く建てられた南北朝時代(1337~1392)に,その地が南朝・北朝いずれの勢力節囲にあったかがわかることである。東川田土井の内(翁喜台)の板碑には,延元3年(1338)とあるが・これは南朝の年号である
また,井上大坊跡のものには貞治2年10月(1363)とあり北朝の年号である。
その他,南北朝合一(1392)以後のものもあるが,興味深いのは,南北朝時代の年号の記されたものである。しかし,緑泥片岩はその岩石の性質上風化しやすく,600年~700年前に作られたものなので,風雨のため磨滅し,判読できない場合が多い。中には,肉眼では判然としなくても,拓本にとってみれば判読できる場合がある。数百年前の歴史を物語る重要な史料を大切に保存したいものである。

板碑