<目次>

          序

 人間の進歩には飛躍はない。必ず先人のなしたことを基本にして,これに創意工夫を加え進歩していく。また,人間は環境に支配されるが,一面環境を支配することができる。
 本町の今日の姿は,自然の大勢一吉野川や高越山に影響されてきたが,また,先人の労苦によってなされたことが多い。たとえば,川田三千石の名をほしいままにした陰には,開拓や用水設置に尽力した涙の物語がある。
 このように自然に従い,自然を拓いてわれらが今日に至ったとすれば,この地に生をうけたわれわれは,自然の移り変わりや,先人の努力に感謝し,さらに新たなより高い文化をきずくよう精進するとともに,未来を荷う青少年をさらに次の高嶺へとみちびくことは
この町に緑ある者の責務であると信じる。
1971年を迎えた今日こそ,これら先人の文化の跡を明かにし,これを保存し,活用する方途を講ずべきときと思う。
 この企てをした教育委員会ならびに編集委員会各位の労を多とし,この冊子が少しでも所期の目的に役立てば幸いである。

  昭和46年1月15日
          山川町長 石 本 宏 一


監修のことば


山川町文化財保護委員会委員長
          富 本 健 輔

 われわれの先祖たちが,その中で生き,それに関り,現に生きてあるいは露わな姿で,われわれに残されている自然環境の特性。また,われわれがそこから生まれた郷土の歴史の形成にあずかり,歴史の流れの中に生き,そのために歴史の証人となるもの。この,われわれにあまりにも親近し,われわれの源であり,われわれ自身の客観的形姿でもあるものを明らかにすることは,単に知的興味からのみではない。それは,われわれ自身の存
在に関する,より根源的な関心からである。
 以前,山川町は新町誕生を記念し,「山川町史」を発行した。それは,石本町長の意を体し,新町成立の基礎を歴史的に跡づける
とともに,町将来の発展のよりどころたらしめんとしたものであった。それによく応え得たか否かは別としても,不備な個所や誤り,あるいは未解決の問題も少なくはないであろう。それらは,できるだけ速やかに補充・修正できるべきである。そのために,史料の批判的検討と新しい発見とは,基本的に必要である。しかも,史料は日に消滅して,われわれの知見から遠ざかり,それが意味するものもまた忘れられがちである。山川町文化財保護委員会は,つとに,このことを憂い,失われつつある文化財の保存と新しい発掘を急務としていた。山川町教育委員会は,これをすでに著名なるものを紹介,周知せしめることから始めることとした。本書はその最初の企画として出されたものである。
 本書の編集に当たられたのは教育長鹿児島進七を委員長とする町公民館および学校関係の方々である。これらの方には,炎暑のみぎり,また多忙な本務のかたわら,熱心に調査・研究を続けられた。ために史料の新発見や新解釈の成果をも得られた。平易に,しかもまた本書の各項目は,できるだけ詳細に解説され,力作の写真や挿画と相まって理解を助け,興味をそそっている。まことに,郷土愛と研究心との結晶であるといっていい。われわれは労多かったこれらの諸氏に敬意と謝意を表するものである。
 われわれは,本書を郷土研究へのあしがかり,郷土史への新しい窓,また,われわれ自身を発見する資材たらしめることを願うものである。さらに,明日のための活力と指針となることを望むものである。